人生の分岐点

こんにちは、
高橋 悠です
今日は僕の人生最初の分岐点
についてお話します。
少し前の話になるのですが、
繊維専門商社という
服地関係の営業職として
新卒で入社した会社での出来事です。
商社だったので
激務と聞いていたのですが
実際は想像以上でした。
朝は4時に起きて始発に乗り、
夜は先輩に飲みに連れられ終電で帰る。
仕事を徹夜で行う日も珍しくありませんでした。
また社内で最も忙しいと
言われる部署だったということに加え
僕自身、仕事が遅い人間だったので
それはそれは苦しい毎日でした。
また1つ上の先輩は
楽観的で軽いノリの性格で
真面目な自分とは真反対だったことや
他の先輩たちも常に忙しそうで
質問すると怒られるという空気感だったので
誰にも本音を相談できずにいました。
しんどかった。
こんなことを書くと不謹慎ですが、
当時は、
楽しそうに生きている人を見ると
「不幸になればいいのに」
と思うようなくらいまで
心が荒んでしまっていたのです。
そんな状態が3ヵ月も続いたある日、
体が動かなくなった
鬱になったのです。
今ならそんなにしんどかったら
辞めたらいいという考え方になるのですが、
当時は
「道を踏み外しちゃいけない」
「社会が決めたルートから外れると死ぬ」
と思って生きてました。
しかし、
それでも遂に会社にいけなくなり
気付くと実家のベッドで横たわっていました。
会社を無断欠勤したのです。
社会人としてダメだと
頭では分かっているのですが
それどころじゃない状態です。
そこから約2週間、
家から1歩も出ない引きこもり生活。
しかし、この生活が
僕の人生を大きく変えたのです。
家にいる間、
「幸せとはなにか?」
という哲学的な問いを探求するため
郵送で届く本という本を読み漁り、
結局自分なりに
ある1つの答えに行きつきました。
“幸せとは自分で決めるもの”
シンプルで当たり前ですが、
当時の僕にとっては
世紀の大発見でした。
この気付きとともに
“自分にとっての幸せ”
を見つけるべく、
再び人生の駒を前に進める決意を固め
会社を復帰することとなりました。
また別の記事で
「“自分にとっての幸せ”
を見つけるためにやったこと」
というテーマでお話します。
挫折からどう這い上がったのかが
リアルに分かる内容ですので
楽しみにしてください。
では、また!
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高橋悠ってどんな人?
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会社員時代には鬱になるなど
悲惨な状況でした。
しかし、コーチングとの出会いで
じぶんの可能性を信じることができ、
今ではサラリーマン時代の年収が月収に、
クライアントと旅行やボランティアをするなど、
人生が格段に楽しくなりました。
“人生が変わるきっかけを与える”
僕がコーチなどのサポート業をしている人の
プロデュースを手掛ける根本となる想いを
動画にしていますので是非ご覧ください。
⇒ http://analyst-ex.com/L322775/k0/5t21